職業野球を追いかけて

引退したプロ野球選手を紹介するブログです。主に戦前・戦後直後から現在のプロ野球まで幅広く扱います。

“8番・投手”がごく普通に見られていた50年代プロ野球(1)

 

DeNAの”奇策”が止まらない。

 

ラミレス監督の”8番・投手”作戦は、5月4日から28日まで21試合連続で行われている。

 

最初に、8番に投手を置いたのは4月14日のヤクルト戦。この時は「投手のウィーランドの打撃を生かす」というのが、この打線を組む理由だった。しかし、5月4日に再びウィーランドを8番に置くと、翌日にも井納翔一を8番で起用した。この日から28日に至るまで、この采配は継続されている。

これまでの采配

この作戦はMLBカブスジョー・マドン監督が好む采配だ。同監督は、有望な若手選手を9番に置くのだという。狙いは9番に置く選手を敬遠から守ることにある。もしその選手に8番を任せる場合、9番が投手であれば敬遠される可能性が出てくる。それを防ごうという作戦だ。

 

2016年まで西武の監督を務めた田辺徳雄も2015年の交流戦で、”8番・投手”作戦を行なっていた。この時は9番に俊足の金子侑司を置いて1番の秋山翔吾に繋げるという、打線の繋がりを考えての作戦だった。

 

”8番・投手”が一つのセオリーだった時代

昔のプロ野球では、9番以外に投手を置く球団も多かった。1950年には大洋、国鉄、阪急、東急、西鉄近鉄の6球団がシーズンを通して9番以外に投手を置いている。

 

こうした傾向は1950年代後半まで続いたが、1960年にはほとんど見られなくなった。この辺りで一種のセオリーが生まれたと考えられる。

 

では、なぜこれらの策が用いられたのか? 一つは打撃が得意な投手が多かったことが挙げられる。例えば現在解説者を務めている関根潤三は、登板が無い日に一塁手として出場することがあった。1950年の打撃成績は63試合で、打率.248(129-32)、4本、21打点というもの。近鉄は打線が弱かったため、クリーンアップを任された試合もあった。

 

さらに打撃が得意な投手が多数在籍していた西鉄は、7番に投手を置くこともあった。そのなかでも川崎徳次という投手は特に打撃が上手かった。

 

1949年4月26日の試合では8本の本塁打を打たれて13失点したが、自ら3本塁打を放って9打点を記録し、15-13で勝利したこともある。これは試合を行った金沢兼六園球場が両翼85M、中堅90Mと狭かったためでもあるが、それでもなお伝説の記録として残っている。