職業野球を追いかけて

引退したプロ野球選手を紹介するブログです。主に戦前・戦後直後から現在のプロ野球まで幅広く扱います。

セカンドとサードも守れる捕手-田中雅彦

田中 雅彦 たなか・まさひこ

1982年1月9日生まれ 大阪府出身

175cm 78kg 右投げ右打ち

PL学園-近畿大学-千葉ロッテマリーンズ(2004〜2012)-東京ヤクルトスワローズ(2013〜2016)

※通算成績 220試合 打率.219(347-76)1本 24打点

 

PL学園時代の1998年に、PL学園横浜高校延長17回の準々決勝に出場。その後、近畿大学を経由して2003年にドラフト4位でロッテに入団。

 

ロッテ時代は2008年に45試合に出場して頭角を現したが、出番は捕手ではなく内野手としての方が多かった。

この年の守備成績は、捕手10試合、二塁24試合、三塁4試合といういびつなもの。二軍では遊撃を任されたこともあった。

翌2009年も41試合に出場し、打率.266、1本塁打とそれなりの成績を残したが、捕手もできる内野手、という便利屋のポジションを脱していなかった。

 

しかし、11試合の出場にとどまった2010年は二軍で捕手として固定されることに。内野手としての使い方は、前年まで監督を務めたバレンタインの方針によるものが大きかったのだろう。あくまでも捕手を狙うのであれば、早くからそうした方がよかったかもしれない。

 

9年目の2012年には二番手捕手として自己最多となる50試合に出場。しかしキャッチングが不安定で、ファンから「ポロ彦」(ポロポロとボールをこぼすから)なる不名誉なあだ名で呼ばれることもあった。

ようやく二番手捕手の座を掴んだかに思われたが、2013年開幕直前に川本良平との捕手同士のトレードでヤクルトに移籍。意図がよくわからなかったが、この年から監督に就任した伊東勤監督の捕手の好みの問題があったのだろうか。

 

ヤクルト移籍後は、マートンにタックルをくらい骨折するなどして23試合の出場にとどまり、掴みかけた二番手の座が遠のき始めた。

さらに2014年は中村悠平の台頭もあり、一軍は相川亮二と中村で埋まることに。結局このシーズンは出場無しに終わる。

 

相川亮二が抜けた2015年は控えとしてベンチに置かれることが多かった。しかし、8月30日の阪神戦で、11-1の大量リードで迎えた8回に守備に就いた途端投手陣が炎上。8、9回で7点を奪われ、抑えのバーネットが登板する羽目になった。

田中がマスクを被った途端に大量失点というのは明らかに印象が悪く、終盤まで一軍に帯同したものの、わずか6試合の出場にとどまった。

そして翌2016年に一軍出場機会が0に止まると、オフに自由契約に。

 

どうにもキャッチングとリードに不安が残る捕手だったが、ロッテ時代に最初から捕手として固定されていればまた違ったのかもしれない。中途半端に俊足で、内野手もこなせる器用さがアダとなったように思える。

 

引退後は独立リーグ福井ミラクルエレファンツのコーチに就任。捕手・内野手の経験を生かすことができるか。