職業野球を追いかけて

引退したプロ野球選手を紹介するブログです。主に戦前・戦後直後から現在のプロ野球まで幅広く扱います。

赤いバットのテクニシャン-石井義人

石井 義人 いしい・よしひと
1978年7月12日生まれ 埼玉県出身
身長:178cm 体重:85kg
右投げ左打ち 浦和学院高校-横浜(1997~2002)-西武(2003~2011)-巨人(2012~2014) 
石井義人

 

浦和学院高校時代は甲子園に出場。
96年ドラフト4位で横浜ベイスターズに入団。
打撃が巧くて、足も速く、肩も強い三塁手という評判だった。 

入団3年目の99年に二軍で.373(134-50)をマークすると、4年目には一軍でも代打を中心に3割をマーク。
打撃が巧いという評判に嘘が無いことを証明した。

ただ、守備はあまり上手ではなく、左投手が得意ではなかったために、レギュラーにはなれなかった。
02年に22試合の出場に終わると西武へとトレード移籍。

ただ、これはあまりに早計だったようで、04年に3割をマークすると、翌05年は規定打席に到達し3割を達成。 
終盤少し息切れしたものの、 首位打者争いを繰り広げるまでに成長した。
これは、左投手を苦にしなくなったことが大きい。
また、守備位置も西武移籍後あたりから二塁へと変わっている。 

その後もスタメンや代打などで活躍したが、11年に12試合の出場に終わると、巨人へと移籍。
この移籍が大当たりで、左の代打として大活躍。日本シリーズではタイムリーを放つなどの活躍で、MVPを獲得するまでに至った。

ところが、13年は同じく代打で起用されるものの、成績はさっぱり。
14年はわずか7試合の出場に終わり、オフに戦力外通告。引退を表明することとなった。

もう少し守備が上手かったり、長打力があれば控えではなく、スタメンとして起用されていたかもしれない。
13年に代打でチャンスをもらいながら、生かし切れなかった点も痛かった。

ちなみに、記事タイトルの「赤いバットのテクニシャン」は文化放送斉藤一美アナウンサーが石井のことを話す際に用いていた言葉。


※参考文献 『世界野球選手名鑑2006』白夜書房