職業野球を追いかけて

引退したプロ野球選手を紹介するブログです。主に戦前・戦後直後から現在のプロ野球まで幅広く扱います。

北海道日本ハムの功労者-稲葉篤紀

稲葉 篤紀 いなば・あつのり
1972年8月3日生まれ 愛知県出身
身長:185cm 体重:94kg
左投げ左打ち 中京高-法政大学-ヤクルト(1995~2004)-日本ハム(2005~2014)
稲葉

当時、ヤクルトの監督を務めていた野村克也が、息子のカツノリ(当時明治大学)の試合を見に行ったとき、対戦相手の稲葉を見たことが獲得に繋がったという。

94年のドラフト3位でヤクルトに入団。
1年目から規程打席には不足したものの3割をマークした。 

入団当初は一塁手だったが、1年目から右翼手に転向。 
3年目には21本の本塁打を打つ活躍を見せる。
だが、その後は左肘、左肩の故障で若干成績を落としてしまった。 
01年に.311 25本を打つが、その後はまたも故障してしまう。
01年には死球が16もあり、内角を攻められてしまったことや、死球による怪我も原因か。

04年オフにメジャーへの移籍を表明するが断念。日本ハムへとFA移籍する。
移籍後は日本ハムの主軸打者として活躍。
日本ハムの顔と呼べるほどにまで成長した。
特に07年は.334を打つほどの大活躍。
日本ハムの二連覇に貢献した。

12年には2000本安打を達成。外野から一塁へと再転向したものの、年齢を感じさせない打棒を見せた。
だが、翌13年は低迷。一気に衰えが来た形となった。
14年もわずか44試合の出場にとどまると、引退を表明。

低迷したあともパンチ力の高さや、存在感を見せつけた点はさすがだった。
三拍子そろった選手で、一塁への再転向後もゴールデングラブ賞を獲得している。 
晩年は、内角の球を上手くさばけなくなっていたそうだ。


※参考文献 『週刊ベースボール 2015年1月5日&12日号』