職業野球を追いかけて

引退したプロ野球選手を紹介するブログです。主に戦前・戦後直後から現在のプロ野球まで幅広く扱います。

肺気胸のサウスポー-星野真澄

星野 真澄 ほしの・ますみ
1984年4月4日生まれ 埼玉県出身
身長:181cm 体重:85kg
左投げ左打ち 埼玉栄-愛知工業大-バイタルネット-信濃グランセローズ-巨人(2010~2014)
星野真澄

11月17日、星野真澄選手が引退することを表明した。
星野選手のこれまでを振り返ってみたい。

愛知工業大では長谷部(楽天)と共に、バイタルネット時代は谷元(日本ハム)と共に活躍。 
社会人時代は都市対抗予選決勝戦の朝に肺気胸を発症してしまうハプニングもあった。
結局、この社会人の時はドラフト指名がなく、2年でプロに行けなかったら会社を辞めると決めていたために、バイタルネットを退団。
BC群馬へと活躍の場を移した。

BC群馬では、チームトップの8勝をあげ、オフの育成ドラフトで巨人から1位指名を受けた。

入団一年目の10年3月にいきなり支配下登録が決定。
こんなにも早く支配下が決まると、ただ単に育成指名で契約金をケチったのではないか、などと邪推した記憶があるが、それは穿ちすぎというものか。
オープン戦での結果がよかったことも、支配下登録の決め手となったのだろう。

この年は結局中継ぎとして34試合に登板。
140km中盤くらいの速球を中心にスライダー、カットボール、チェンジアップを投げる投手で、本人曰く武器は右打者のインコールを突く速球とのこと。
ただ、制球の悪さが目につくことがあり、被弾も多かった。

二年目の11年は、統一球が合わなかったらしく、わずか3試合の登板に終わる。
この年も制球の悪さが目についた。
12年は6試合に登板後、左股関節唇の手術を受けることに。かなりの大手術だったらしく、オフには育成降格が知らされた。
また、この年はチェンジアップではなく、フォークを投げている。

13年は7月に支配下に復帰。二軍で22試合、14回1/3を投げ、5.02 被安打17 与四球4 奪三振11という成績だった。
完全復帰が期待された14年は、二軍で45試合、36回を投げて 1.25 被安打25 与四球7 奪三振40という素晴らしい成績を上げていたが、なぜか一度も一軍に上がれずに自由契約
トライアウトも受験したが、どこも獲得する球団が現れず、現役引退を表明することとなった。

今年の二軍成績は文句の付けどころがない成績だったが、一軍で使ってもらえなかったことは残念。
左腕ということもあり、どこかの球団が獲得するだろうと思われたが、どこも獲得する球団はなかった。
獲得して損は無い投手だと思ったのだが……。


※参考文献 星野、現役引退 トライアウト受験もオファーなし 巨人育成1位・星野真澄「人生観を変えた社会人時代」