職業野球を追いかけて

引退したプロ野球選手を紹介するブログです。主に戦前・戦後直後から現在のプロ野球まで幅広く扱います。

数奇な野球人生を歩んだ男、加藤斌

加藤 斌 かとう・たけし
1944年生まれ
身長:181cm 体重:76kg
右投げ右打ち 作新学院-中日(1963~1964)
加藤
  作新学院時代はエース、八木沢荘六の控え投手。
1962年夏には八木沢の活躍で甲子園に出場する。

ところが、 この夏の甲子園開会式当日に八木沢は赤痢にかかり入院してしまう。
仕方なく登板することになったのは控え投手の加藤だった。

エース不在となってしまった作新学院は苦境に立たされてしまったが、控え投手であったはずの加藤がこの大会で大活躍を見せた。
あれよあれよという間に5完投勝利を上げる大活躍を見せ、作新学院はこの年に見事甲子園優勝を果たす。

この大会のあとに加藤は一躍時の人となり、プロ球団の争奪戦が始まった。
優勝投手をどこの球団も放ってはおかないわけだ。
結局は中日が、コーチを加藤の姉と見合いをさせ結婚するというとんでもない方法を使って加藤を中日入りさせることになる。 
結果的には八木沢が赤痢にかかったおかげで、控え投手の加藤はプロ入りできたというわけだ。

横手から投じられる浮き上がるようなカーブと沈むシュートを武器にする投手で、2年目の4月16日には大洋相手に完封勝利をあげる活躍をみせるなど、順調に育っていた。

だが、3年目が始まる直前、1965年1月3日。地元栃木に戻っていた加藤は、自動車の運転を誤り、ブロック塀にぶつけてしまう。
意識不明状態のまま運ばれた加藤だったが、搬送先の病院で死亡。まだ20歳という若さだった。

※参考文献 近藤唯之『運命の一球』 読売新聞