職業野球を追いかけて

引退したプロ野球選手を紹介するブログです。主に戦前・戦後直後から現在のプロ野球まで幅広く扱います。

中京軍と東海軍

職業野球元年である1936年に、幻の職業野球チームが2つ存在した。
この2つのチームはなんらかの事情で既存のリーグには参加できずに独自のリーグを立ち上げたものと思われる。
新聞で入手できるだけの情報を集めたのでここに公開したい。  

1936年5月22日

中等野球界の中心地岐阜市にまた一つ職業野球団誕生。
名前は「イースタン」(東海軍)

六月一日から正式なトレーニング開始
岐阜市長良川原に新球場建設予定
球場完成までは名古屋郊外にある鳴海球場で練習を行う。

資本金:十五万円
代表者:松平年正子爵、勅使河原徳三郎、佐藤郡八郎
専務:伊藤修
常務:森加賀
監督兼外野手:浅倉長(早大)
投手:石井秋雄(同志社大学中退) 西村重治(北海道出身) 加藤光隆(横浜専門) 鳥羽眞一(名鉄)
捕手:早川澄太郎(北大) 谷口記念次(?) 長持英吉(島田商)
内外野手:多々井仲(中津商業) 芦澤武雄(中京商) 佐々木敏武(長野中学) 牧野守六郎(早大)
中村三郎(明治大学、ただし交渉中)

浅倉長は1934年第二次米国遠征に選ばれた選手。

千葉中学-早稲田大学-高陽倶楽部-太洋倶楽部

という経歴で、早稲田時代は投手としても打者としても活躍した。
大正15年(1926年)に早稲田に入学して市岡監督のもとで猛練習を受け成長。
左腕から繰り出す速球、シュート、インドロ(インコースに食い込むドロップ)が武器で、谷口五郎二世とも呼ばれた。
また、打者としても非凡な才能を見せつけていたが中退。
1933年から母校千葉中学でコーチをしながら一人練習を続け、1934年に第二次米国遠征に選ばれた。

石井秋雄は37年にイーグルスに入団した。
長持英吉は戦後東急などで活躍した長持栄吉

1936年5月24日

名古屋に名古屋、金鯱に続く三球団目の職業野球団誕生
名前は「セントラル・シティー」(中京軍)
この球団は元神奈川県茅ケ崎町、岡崎博氏と元名古屋市長大喜多寅之助氏の後援を受け誕生。
球場は八事山本球場

専務取締役:笹川平八郎(球団事務所も笹川氏宅に置く)
監督:溝口静夫(明治大学)
投手:加藤智男(法政商) マヌエル・ミハイル(早工)
捕手:川地喜代三(早実) 富田政次郎(早実)
内野手:(主将)林信一郎(元リーガル) 若原秀雄(名二商) 中川敦章(早大) 宮本武蔵(法政)
大塚※太郎(郁文館)
外野手:内田目吉(早実) 桑澤※吉(扶桑倶) 河野豊(享栄商) 森弘司(扶桑倶) 岡田篤治(中京商)

※は漢字不明

加藤智男は36年途中から名古屋に入団。
林信一郎は37年に阪急入団。
岡田篤治は1933年8月19日の中京商対明石中延長25回に出場していた。

1936年5月30日 

31日午後3時から名古屋八事球場で中京職業団と東京セネタースの結成記念試合という記事が読売新聞に載っていたが実際に行われたのは6月1日である。

1936年6月1日 

セネタース17A-2中京

午後3時40分プレイボール 午後5時25分閉幕

主審:沢 塁審:北野、服部

中京000002000  2
セ軍10200734A 17

【中京】
遊:中川
二:林
捕:川地
一:岡田
中:ナヌイロス
三:若原
右:河野
投:加藤
左:桑原
打数29 安打3 犠打0 盗塁0 三振9 四死6 失策2

【セ軍】
遊:今岡・中村
二:横澤七
投:浅岡
三:高橋
右:山崎
一:家村
左中:青木横澤
中:大貫
投:石原
二:苅田
捕:野口・北浦
打数38 安打15 犠打0 盗塁7 三振6 四死12 失策2

三塁打:高橋(セ軍) 山崎 二塁打:中川、ナヌイロス、青木、中村、北浦、浅岡
捕逸:北浦 試合時間:一時間四十五分

1936年11月19日

中京軍、東海軍により新日本専門野球連盟が結成。
結成記念として第一回東京地方遠征を行い二十一、二十二、二十三日の三日間、上井草球場で
セミプロ東京ユニオンを加えて五試合を行う。

二十一日:中京軍-東海軍(一時)
二十二日:東海軍-東京ユニオン(午前十一時)中京軍-東海軍(一時)
二十三日:中京軍-東京ユニオン(午前十一時)東海軍-中京軍(一時)

1936年11月21日 

東海軍12-14A中京軍
二十一日午後一時四十分プレイボール

東海440000202
中京10400207A

新聞記事によると両チームとも技術が低く、そのために14対12というスコアになった。
また、乱戦の中で中京軍の若原三塁手の好守がせめてもの救いであったとのこと。
両チームは二十五日谷津、二十八、九日に横浜公園で試合をする予定。

【東海】
中:鬼澤
捕:ミハイル
一:早川
左:太田
三:矢島
投:高梨
遊:林
二:倉澤
右:河野
打数41 安打10 犠打1 盗塁3 三振1 四死11 失策7

【中京】
三:若原
左:牧野
右:林一
一:飯田
中:外田
投:西本・飯塚
二:磯本
捕:大西
遊:林清
打数26 安打11 犠打1 盗塁 三振2 四死8 失策4

1936年11月22日 

二十二日午後十一時四十分から東京ユニオン対中京軍、中京軍対東海軍の試合

ユニオン4-3中京
ユニ000000031
中京300000000
バッテリー:(中京軍)山本-大西 (ユニオン)伊佐野、神谷-江川

中京8A-4東海
東海200000011
中京10013030A
バッテリー:(東海)ミハイエル、高梨-尾形、ミハイエル (中京)山本、飯田-大西

1937年4月6日 

中京職業野球団は株式会社中京野球倶楽部として再出発。
四月上旬から小田原町小峰球場で合宿練習を開始。

【メンバー】
若原秀夫(名二商)西田末美(京城商)松本國雄(大城中)中島武雄(元名古屋軍)
山崎輝雄(早大)塚本清(明大)牧野俊一(郁文館中)河野豊(享栄商)林玄彦(京城商)

その後、中京野球倶楽部、東海軍がどうなったかは一切不明。
この両球団に在籍した選手のうち数名はプロ野球チームに参加したようだが、その他の選手がどうなったのかもわからない。


※参考文献
読売新聞
1936年5月22日、24日、30日、6月2日、11月19日、22日、23日
1937年4月6日の記事