職業野球を追いかけて

引退したプロ野球選手を紹介するブログです。主に戦前・戦後直後から現在のプロ野球まで幅広く扱います。

大岡虎雄以上の高齢新人-有村家斉

三浦大輔が、今年、40歳で登板を果たした。
その時、アナウンサーが過去に横浜で40代登板を果たした3人の投手の名前を紹介していた。
工藤公康新浦壽夫、有村家斉の三人だ。

今回はそのなかの一人、有村について紹介したい。


有村 家斉 ありむら・いえなり
1914年生まれ  鹿児島県出身
身長:5尺5寸(167cm) 体重:18貫(67.5kg) 
左投げ左打ち 鹿児島中学-立教大学-満州鉄道-全鹿児島-大洋漁業(?)-大洋(1952~1954)
有村投手
 有村野手

大学時代は景浦将などと共に活躍。卒業した年も景浦と同じ昭和14年であった。
その後、様々なノンプロ球団で活躍。
大洋漁業にいたということが、雑誌『ベースボールマガジン』には書かれているが、真偽のほどは不明。
都市対抗の下関で2本の本塁打を打っていたようなので、大洋あるいは大洋でなくとも下関の実業団にいたのは本当のようだ。
おそらくは、上に載せた以外にもノンプロ実業団に在籍していたと思われる。

その後、38歳という高齢で1952年に大洋ホエールズに入団。
ノンプロでの実績があるだけに期待されていた。
コントロールがよいという前評判だったが、通算成績を見るとそれほど四球が少ないというわけではない。

都市対抗本塁打を打っていたように、投手でありながら打撃がよかったらしく、一年目にいきなり2本の本塁打を放っている。
代打としての出場もあったようだ。
肝心の投手成績もそこそこの成績を残すことができたが、これが限界だったか。

二年目もそこそこの成績を残すが前年よりも成績は悪化。
三年目は40代での登板を果たすが、4月22日に5番ファーストでスタメン出場したあとは、5月2日に先発登板したのみで以降は野手転向することになる。
最初はファーストでの出場が中心であったが、途中からは外野としての出場が増え、ライトのポジションを前回紹介した椙本勝と争った。

だが、そのスタメン争いでは椙本に敗れる形となり、この年限りで現役を引退。
あくまでも「投手としては」打撃がよいレベルだった有村が野手一本で勝負するのは厳しかったのだろうか。
打率も.201、本塁打0という成績に終わっている。

こうして成績だけを見るとたいしたものではないが、これを1950年代に38~40歳の選手が残したものであると考えるとなかなかにすごい。
若い頃にプロ入りしていたらきっとこれ以上の成績を残していたのだろう。


※参考文献 『ベースボールマガジン』 スタメンアーカイブ 立教大学野球部