職業野球を追いかけて

引退したプロ野球選手を紹介するブログです。主に戦前・戦後直後から現在のプロ野球まで幅広く扱います。

石丸進一の死から69年

1945年、5月11日。一人のプロ野球選手が命を絶った。
その名は石丸進一。
彼は神風特攻隊の一人として、23歳の若さで九州南方に沈んだ。
  鹿屋基地への転身命令が決まった1945年4月26日、彼は同じ海軍予備学生だった浅野文彦と別れを告げる。
そのとき、彼は浅野のアルバムに万年筆で、最後のメッセージを書いた。
佐賀市水ヶ絵町 海軍少将 石丸進一 葉隠武士 日本野球ハ」

ここまで書いたところで集合を知らせるベルが鳴った。
この期におよんでまだ野球なのか、と怒った浅野は「貴様はまだ野球が忘れられんのか」
と怒鳴ってしまう。
石丸は一瞬、浅野を見据えて「野球じゃ、野球じゃ、俺は野球じゃ」と叫びながら駆け出して行ったのだという。

1942年、17勝19敗 防御率1.71
1943年、20勝12敗 防御率1.15
1943年にはノーヒットノーランも達成している。
たった二年しか投げなかったが、エース格として充分な成績を残した。

出撃の日の朝、石丸は最後のキャッチボールを本田耕一とする。
ハチ巻きをしめた石丸が投げる。キャッチャー役の本田が「ストライク!」と叫ぶ。
ストライクを十球投げたところで、石丸はグラブを投げ出した。
「これでもう、思い残すことはない」 
ニッコリと笑いながら言ったのだそうだ。

終戦まで残り三か月に控えた1945年5月11日のことである。 

※参考文献 読売新聞 『ベースボールマガジン1988年冬季号』